じゃがいも日記

母に顔がジャガイモに似ていると言われましたので

金で幸せを感じてなにが悪い

「稼ぎたい」という人たちを「結婚して専業主婦になりたい」という人たちと同じくらい軽蔑していた。

 

2017年の転職サービス会社DODA調べによると、40代男性の平均年収は587万円だ。これを単純に2人で割ると、300万円にも満たない。20代女性の平均年収である319万円よりも下がってしまう。さらに、現代日本では、結婚した夫婦の3組に1組が離婚している。「専業主婦」という夢物語を追うのは結構だが、なにかしら保険をかけていないと、リスクマネジメントが甘すぎる。し、そもそも自分の人生を他人に依存させる考えが気に食わなかった。

(実現するのが難しいからこそ憧れになっているのであろうが。)

 

孫引きで恐縮だが、年収が800万円以上になると、幸福度は横ばいだそうだ。

年収800万円を超えると幸福度は上昇しなくなる | 幸福の「資本」論 | ダイヤモンド・オンライン

そもそも、資本主義社会とはいえ、お金はどこまでいっても手段である。手段と目的が逆転したことに気づかないまま、ひたすらそれを追い求める人生は虚しい。(これは「結婚」にもいえる。結婚はどこまでいっても制度であり、そのもの自体に価値を見出すのは本末転倒だ)

 

だから、誰かのために生きたいと思っていた。誰かといっても、近視眼的な自分の幸せのための「誰か」ではなく、絶望感に打ちひしがれそうになって、それでも生きるしかない「誰か」である。社会正義を自分の手で実現したかった。また、世俗的な娯楽よりも、知的好奇心を満たす学問の方がよっぽど興味があった。

それらは自分の人生を通して追求する価値のあるもののように思えた。というか、今でもそう思っているし、実行している方々のことは本当に尊敬している。

 

ただ、留学に来て、楽な世界を知ってしまった。どうしてこの土地がそこまで好きかという理由は、別エントリーで書くが、「就職して華やかな身分でニューヨークに戻ってきたい」欲望ががかつての大志を上回った。「自分の生きやすさや世俗的な幸せを優先してもいいんじゃないか」と思った。

 

正直に書くと、また誰かを本気で好きになるのが怖いのも一因だ。具体的には、好きな人を失うこと自体への恐れだが、誰かのために捧げたエネルギーや時間が無駄になるのももう嫌だ。それが恋愛、と言われればそれまでだし、「無駄」と考える時点で良い恋愛ではなかったかもしれないし、恋愛に必ず終わりがくるとは断言できない。それでもやはり、先行き不透明なもののために、人生の一部を犠牲にするくらいなら、その分をある程度リターンが約束された仕事に割り当てたい。

そして、そこまで頑張るなら、目に見える形で報酬が欲しい。

 

以上のことを一言でまとめると、「キャリアと結婚すると決めた」のだ。結局、自分があれほど嫌ってた人たちのハイブリッドになった気がしないのでもないのだが、あれこれと悩んで、考えた末の結論である。

と言いつつ、飽き性の人間なので、適当なところでフリーランスになったりして南の島に隠居するかもしれないし、男性と結婚してボランティア業界のドンになってるかもしれない(これを伝えたら、友人に「たしかに善人集団で甘い汁を吸ってそう」と言われた)

 

今日も「幸せ」のために邁進したい。