じゃがいも日記

母に顔がジャガイモに似ていると言われましたので

分かり合えないと思ってる人なら分かり合える

一時期、自分について説明するのがめんどくさくて、初めて会った人用にライフヒストリーと簡単な考え方を書いた紙を用意しようかと思っていた。最終的には、今のツイッターやブログの冒頭の30文字の自己紹介にいきついた。

 

自分のことについてカム(カミングアウト)しているというよりは、色々と隠さずに話してるだけ、という感覚である。最近は生まれとかセクシュアリティより、喫煙者であることのほうが言いづらい。(正確には、人から勧められたときだけ吸うsocial smokerです)笑

狭い場所だと落ち着く人がいるように、肩身が狭いことが好きな人間なのかもしれない。笑

 

私がマイノリティだからか、マイノリティであることを特に気にしていない(自分大好きナルシストなだけという説もある)からか、たぶん、年の割にはたくさんのカムを聞いてきた。

 

「自分も、女の子が好きなのかもしれない」「男になりたい」「彼氏は好きだけど、いちゃいちゃするのが苦痛」「母親が外国人」「自分の国籍は日本じゃない」「父親が倒れて車いすになったから、東京の大学には行けない」「親が新興宗教にはまっている」「病気にかかってる」「障がいがある」「小さいころにネグレクト系の虐待を受けて、今は親と離れて暮らしてる」「中絶したことがある」「いじめを受けていた」「姉が自死した」「DVが原因で離婚した」「レイプサバイバー」

 

性別も国籍も年齢もばらばらだが、大抵の場合、些細な会話の流れから、「他の人には話したことがないけど、実は、、、」と突然言われることが多い。正直、どんな気持ちで私に話そうと思ったのか、わからない。未だにどう反応すればよいのかも分からない。ただ、普段普通に笑って、普通に生活している友人らがこんな経験をし、それを一人で抱えていたのかと思うと、毎回、胸がぎゅっと苦しくなる。自分が想像するよりも遥かに多くの人が、様々なものを抱えて生きている。

 

自分自身、複合マイノリティとして色々なことを経験し、考え、生きてきた。少しだけ環境に恵まれたおかげで、自己を隠すことはせずにすんだ。ただ、そこで実感したのは、「経験しない限り、話しても分からない」ということだ。自分には全く責任のない状況下で、不条理な経験をしたときの、「どうして私だけ」という悔しさややるせなさは、伝わらないだろうな、と思う。他の人が放つ些細な一言が、首に刺さった小骨のようにちくっと痛む感覚は共有できないだろう。と同時に、上記のようなカムを受けたとき、「私は絶対にこの人の辛さを理解することはできない」という現実に絶望を覚える。しばしば、大切だと思っている友人らであっても、深く暗い溝を感じる。

 

ただ、逆説的ではあるが、だからこそ、コミュニケーションを放棄せず、伝える努力、丸ごと受け入れようと試みるのが、言語能力をもった人間のすべきことだと思っている。浅はかで自己中心的な共感を示して、分かった気になるのではなく、その話を聞いたときに感じた自分の胸の痛みを、そのまま大事に抱えていたい。それが私なりの誠実さだ。

 

この考えを誰かに話すのは稀なのだが、もしかしたら、こういったスタンスだから、今まで、あの人たちは私に話してくれたのかもしれない。

 

不思議なことに、こういったカムを私にしてきた人たちの多くとは、人生の交差点を通り過ぎるように、自然と疎遠になった。ただ、今でも、ふと思い出す度に、どこかで幸せになっていることを願っている。