トイアンナさんの離婚ブログを読んで泣きたくなった
愛されたいと思って生きてきた。というか、生きている。
この人なら愛せるし、愛してもらえる、という人がいたこともある。
しかし、振られて、私たちの関係はあっけなく終わった。
周りの人たちに死ぬほど心配されたけれど、そんな友人らに冗談を言いながら、「意外なほどに大丈夫だな」と思っていた。本気で。
だけど、一人でぼうっとしているとき「親が死んだら死んでもいいかな」と思う自分がいた。そして、「そんなことを考えるってことは、今苦しんでるんだな」と分析しないと、自分の状態に気づけない自分に呆れた。
失恋中は、世界で自分だけが辛いような錯覚に陥るけれど、多くの人が通る道だし、ましてや、失恋より辛いことはごまんとある。(個人を超えた社会の不合理さに苦しむ人の前で、失恋で死にたいなんて、私は言えない)
それに、それをSNSやブログで公開するのは、正直、イタい。痛すぎる。メンヘラの歌詞をつぶやくのも、自分は平気ですよアピールするのも、だけど、やっぱりちょっとつらいかもって雰囲気を醸し出すのも痛い。全てわかっている。
絶対に、トイアンナさんもわかっている。
とてつもなく頭がいい人で、周りのことも自分のこともよく見ている人だから。そして、それを全て言語化してしまうから。
それでも、やらずにはいられない彼女を見ると、私はなんだか泣きたくなってしまう。
恋愛は受験や就活とは根本的に違う。どんなにハウツーがあったって、それは結局、「モテる」ためのものであり「愛される」ためのものではない。どんなに強く願ったって、自己分析したって、努力したって、結局愛してもらえるかどうかは、相手次第である。一律の基準はどこにもない。
私はそれに耐えられない。「学歴は高いけど、恋愛の偏差値は低いよね」と思われることを、プライドが許さない。「愛されたい」と認めることは、複雑な数式を紐解くことよりも難しい。どこまでも他者との勝ち負けでしか考えられない自分の価値観が歪んでいることには気づいている。しかし、逃れられない。
せめて、「頑張り続けることと、ドロップアウトはどちらのほうが簡単なのだろうか」と問うのが精いっぱいだ。
肩書や経歴に対する1億人からの承認じゃなくて、1人からの無条件の愛がほしい。今まで理不尽に傷ついた自分の心を丸ごと受け入れてくれる人がほしい。
だけど、自分ではどうしようもない。そして、このどうしようもない感情をどうすることもできない。ある程度コントロールできる瞬間はあっても、永遠にはなくならない。
私はそれに耐えられていない。
トイアンナさんのブログを読んで泣きたくなったのは、彼女があまりに自分の心を映していると感じたからだ。失恋の原因を冷静に分析しつつ、友人に頼るという、最高かつ唯一の救急処置も施している。しかし、「愛されたいのに、愛してもらえないのがつらい」ことだけは言えない。
この記事はただの独りよがりで、トイアンナさんにしたら良い迷惑だろう。私は、結局、彼女に自己投影し、自分を憐れんでいるだけかもしれない。
ただ、だからこそ、願わずにはいられない。彼女の世界に愛があることを。彼女が複雑な世界を忘れて、単純な感情を綴れる日が来ることを。