じゃがいも日記

母に顔がジャガイモに似ていると言われましたので

マジョリティの不安に向き合おうじゃないか

 近代化の特徴の一つとして、個人化が挙げられます。基本的に個人は属する集団を選択することができ、人生の選択も個人の自由とされます。もちろんこれは、良い面もありますが、それだけとは限りません。

 心理学の知見からは、選択が増えれば増えるほど人はストレスを感じるという「選択のパラドックス」が指摘され、社会学では、フロムが「自由からの逃走」という概念を用いドイツ市民がナチズムに傾倒していった社会的状況を描き出しました。また、20世紀初頭の社会学者であるデュルケムは、社会的規範が過小になると欲望の抑制が効かなくなる「永遠の渇き」状態に陥り、最終的にはアノミー的自殺に至ると論じています。

 これらの伝統的な「自由」を巡る考察を踏まえ、個人的に共感する論は、自己責任論が叫ばれる現代日本社会において、人々は失敗を恐れるために、自由を健全に享受できていないのではないか、ということです。

 

 自由と平等を標榜する社会ならば、最も虐げられている人々への再分配を積極的に実施し、承認を回復させるのが最優先ですが、その方法に関して慎重になる必要があるでしょう。

 

 具体的には、「言葉狩り」とも捉えられかねないポリティカル・コレクトネスが原因で、自分と異質の他者とコミュニケーションをとるのが難しくなったと感じる人の気持ちを簡単に一蹴してよいものか、私は疑問です。悪意のない差別発言や失言から、例えばその人の人格を否定したり、次に生かす機会を与えないのは、ハーバーマスが唱えた公共圏の構築を疎外するでしょう。

 例えば 、以下の記事では、次のことが書かれています。「男性管理職の半数近くが、女性と2人きりでミーティングするのは気が引けると答えた。また男性は、女性の同僚と2人だけで出張に行ったり、夕食を取ったりすることに以前よりためらいを感じるとした。」

#MeToo対応に苦慮する米企業、男女格差は改善されず - WSJ

 

 「職場では仕事に関係のない話はする必要がない」という意見もたまに聞かれますが、これは経営側にとっても労働者側にとっても好ましいとは言えません。経営学の古典理論に、バーナードが提唱した「インフォーマル・グループの存在が作業効率に影響を与える」という説があります。これは、職場の人間関係が円満だと、効率性のみを重視して働くより生産量が増すということです。また、以下の調査では、仕事に満足している理由のトップ3として、職自体の魅力と、職場での人間関係が挙げられています。

仕事の満足度に影響する要因は?仕事に満足する理由は、仕事のおもしろさや人間関係。不満につながる理由は、給与。―『エン転職』ユーザーアンケート調査結果発表― | エン・ジャパン(en-japan)

 ワーク・ライフ・バランスが重視されているとはいえ、ほとんどの人にとって仕事は生活のなかで大きな割合を占めているでしょう。そこでワークとライフを完全に切り離すことは、むしろ感情疎外に繋がるのではないでしょうか。

 

 全ての人にとって円滑なコミュニケーションが築かれるために重要なのはむしろ、そのあとの異議申し立てが上手く機能することです。「正しい」世界を初めから構想しようとすると、全ての問題を全ての人が認識することができないために、様々なところで軋轢を生むので、ケアの倫理の中心概念である応答責任を広めていくことのほうが肝要かと思われます。つまり、発言の自由と開かれた対話に重きをおくことです。

 そうすることで、自己責任論を背景に失敗を恐れる人々が抱く不安にも向き合えるのではないでしょうか。

 

 また、どんな人生を送ってもよいという風に個人化が進む中で、人々が漠然と抱く「寄る辺なさ」に対応できるのは、アイデンティティ形成の機会や場の確保だと思います。アイデンティティの追及は必ずしも排他性に繋がるとは限らず、むしろ、健全にアイデンティティを形成出来た者(自己肯定感を育めた人)は、他者のそれも尊重できるのではないか、という予感もします。ロールズの原初状態が「負荷なき自我」として批判されたように、私たちは自らの歴史性/固有性と、日常生活で関わっている他者との関係なしに思考することはできません。

 その点で、「アイデンティティ構築」に対し批判的になりがちなクィア・セオリー(もちろん、全ての論者がとは限りませんが)をどこまで、現実社会を分析する社会学で活用できるのか、疑問に思うのでした。

 

 いつか、ここら辺に関して、一本の論文にしたい気もしますが、できるのだろうか…。とりあえず、明日のテスト頑張ります。千里の道も一歩より・・・。完