じゃがいも日記

母に顔がジャガイモに似ていると言われましたので

方法としてのアイデンティティ

 アイデンティティとは何か、問い続けてきた人生だった。

 

 日本社会で日本国籍をもたずに生きてきた私は、物心がついたときから、むしろ、マジョリティとして生きる感覚がわからなかった。

 「日本語が上手だから、ほとんど日本人みたいなもんだね」「なんで、国籍を変えないの」と問われるたびに、相手が納得する答えを与えることは上手になっても、自分の中の違和感は大きくなるばかりであった。

 

 日本と韓国の歴史、在日の歴史、家族の歴史、私の歴史を踏まえ、「今までそうやって生きてきて、アイデンティティを確立しているから(今更変える気にならない)」「もしも日本社会側が(つまりあなたが)私に変えたほうが楽と言うなら、その態度自体が、在日外国人を生きにくくさせている根本的な原因である(から私が変える必要はない)」と。

 長めの答えを伝える場合でも、たいていは、ここまでで、以下はそれに続く私の心内である。

 ナショナル・アイデンティティの確立は、近代国家の成立とともになされ、「本質」ではないが、私がこだわっているものもまた、一つのナショナル・アイデンティティである。マイノリティが自身のアイデンティティを保護しようとすることは、普段、アイデンティティを意識すらしない(ゆえに当然、それが原因で傷つけられることもない)マジョリティが自身のそれを保護しようとすることとは、まったく別の意味をもつが、結局は、マジョリティ/マイノリティを区分するのに、アイデンティティが基軸として作用している。これでは、ナショナル・アイデンティティが「本質」でないことと堂々巡りしてしまう。また、自身のナショナル・アイデンティティの保護に正当性を与えることで、他の在日コリアンが日本国籍を取得することを暗に批判してしまう。自分の「日本人ではない」という直感と、他者の選択への尊重を両立させるにはどうすればよいのか。(ちなみに、今までは、「まず第一に、直接の被害者がいない場合、誰かの生き方の選択に他者が口出しをすることは不可能だというのが、現代社会の基本ルール」と自分に対して暫定的な返答をしており、今でもそれはまったく正しいと思うが、それでもなお、靄が残っていたというのが正直な気持ちだ。)

 

 そして、似た問いは、異なるアイデンティティ・カテゴリーを通じて何度も私の前に立ち現れた。「女とはなにか」日本社会で日本人として生きる彼女と私は、同じなのか。そして私は、レイプサバイバーの声を、トランス女性の声を理解しているのか。一方で、「女」「男」というカテゴリー間に「明確な」差異があるようにもみえる。この現象は何なのか。

 「レズビアンとはなにか」バイセクシュアル女性となにが違うのか。「自分も女を好きになるかもしれない/なったことがある」と伝えてきた「シスヘテロ」女性は。なぜ、彼女たちはそれを名乗る/名乗らないのか。

 

 

 1971年、デニス・アルトマンは「ゲイ(同性愛者)」とは確固としたアイデンティティではないと述べ(Altman 1971=2010)、ジュディス・バトラーは「セックスは、つねにすでにジェンダー」であるという言葉で「生物学的/本質的」性別であったセックスを脱構築した(Butler 1990=1999)。

 そして私は、「ジェンダー、セクシュアリティ、人種、(民族、障がい、)階級といった差異を認識しつつ、非規範的な性のあり方を引き受けるすべての人が連帯して、性別二元論と異性愛中心主義に異議申し立てをする」クィア(河口 2003)という概念に出会った。

 

 余談だが、アルトマンもバトラーも哲学、文学、社会学などはてしない学問知の蓄積の末に、もしかしたら、石ころほどの自論を載せたに過ぎないのかもしれないが、されど、石ころである(もしもこれらの学者の説が石ころなら、私の存在は、原子レベルだ。頑張って砂粒くらいにはなりたい。)

 

 確かに、衝撃だった。納得できる点も多かった。ただ、それでもやはり、靄は残った。「まだ捨てきれない自分のアイデンティティと、それに付随する気持ちは何なのか」

 日本に住む日本人よりは、二世以降の中国人に、シスヘテロの男よりは、ゲイ/トランスになんとなく親近感を抱くが、それよりも在日コリアンに、レズビアンまたは女性のほうが好きなバイセクシュアル女性に抱く親近感はなんなのか。自分は、ただの分離主義者であり、今まで自らがされてきたように、誰かを排除しているだけなのだろうか。

 

 

 そんな気持ちを抱きながら読んだ堀江有里の『レズビアン・アイデンティティーズ』には、率直に言って、励まされた。

 クィアの概念によって社会規範をずらす前に、レズビアンという地点に留まることで社会を捉え返し、そのひずみや裂け目を詳述する意味はある(堀江 2015)と認識させられた。ただ、そこで述べられていた「他者との相互作用の中にあるプロセス/場としてのアイデンティティ」という概念が、感覚レベルではどうしても腑に落ちなかった。

 

 

 こうやって変遷をたどってきた「アイデンティティとは何か」という問いに対する答えは、まさに、バトラーの『ジェンダー・トラブル』のなかにあった。アイデンティティとは目標ではなく、方法なのである(Butler 1990=1999)。

 「~~とは何か/what?」でなく、「~~であるとは、どういうことか/how?」と問うことで、定義/線引きにより誰かを排除することなく、しかし同時に、自分自身を表す言葉を受け入れることで生まれる自己肯定感を否定しないことが可能になる。

 そしてその先に、自分自身によって自身を名指すことで、他者によって勝手に貼られるラベルに抵抗する可能性と、(アイデンティティを共有する集団内で)個々の差異を際立たせつつ、その差異を架橋する道(堀江 2015)が見えてくる。

 また、アイデンティティを手段と捉えることで、特に量的な社会調査をクィア・スタディーズの理論面からも意味づけられる。クィア・セオリーに多大な関心を抱きつつ、メソッドとしては量的調査を採択したい社会学徒としてのジレンマも克服することができた。

 

 

 長くなってしまった。本論に粗削りな点が多いことも、諸文献の読み込みが浅いことも重々承知している。ただ、自分のなかで、一つの目処がたったことは確かで、今後の研究の方向性も定まったように思う。ある程度形になった段階でアウトプットすることも思考の深化のために必要なので、今回は拙文ながら記事にした。とりあえず、卒論では、性的マイノリティとシスジェンダーヘテロセクシュアルの人の、意識に関して比較分析をするつもりである。日々多くの気づきと指導と叱咤を与えてくれる周りの人々への感謝を忘れず、これからも精進したい。