じゃがいも日記

母に顔がジャガイモに似ていると言われましたので

ニューヨークに戻ってきたくて、夢を捨てた話

去年の8月からニューヨークに留学に来ており、今では将来、何かしらの形で戻ってくることを真剣に考えている。

ここは、外国生まれであることもセクシュアルマイノリティであることも、普通の世界だ。そういったコミュニティにわざわざ行かなくても、友達の中に似た境遇の人はたくさんいるし、日本の大学よりも「下」の大学に来たにも関わらず、いわゆる「マジョリティ」から「アホな」質問をされることも劇的に減った。(自分のうぬぼれは自覚しているし、反省もしているが、デリカシーもリテラシーもないマジョリティに優しく理解を示すほど、私は人間としてできていない)

 

留学に来る前、様々なことが重なり「世界死ね」から「死にたい」までの怒り〜悲しみスペクトルを行き来していた。単純に、それらのストレスがなくなっただけで幸せを感じられるため、もしかしたら、どの地でもよかったのかもしれない。逆に、ここが、誰かにとっては息のつまる場所でもあろう。

 

ただ、世の中の「無理解」が減ったように見え、世の中の「悪意」に対して本気で怒って抗議する友人らと出会えたこの土地に戻ってきたい気持ちは本物だ。そしてそれは、かつて抱いていた「次の世代のために、自分が育った社会をよくしたい」気持ちに優った。

 

また、第二言語の英語で研究者になれる自信はない。自分の頭をそこまで信じていない。あと、ものすごく世俗的なのだが、若いうちにお金とそこそこの地位を希求することにしたら、精神がとても楽になった。理想を掲げるのには疲れてしまった。

金で幸せを感じてなにが悪い - じゃがいも日記

 

基本的には「自分の欲望を優先して、資本主義には決して意義を唱えない『エセ』フェミニストになろう」と開き直っただけなのだが、「外国人」で「女性」で「セクシュアルマイノリティ」である自分がキャリア的な成功を収めることには、一定の社会的意義があるとも考えている。例えそれが、「パワーレズビアン」や「名誉男性」でしかないにしても。(これらの言葉がなにを指すかはググって欲しい)

 

だからといって、性格的にも思想的にも、仕事に一生を捧げることはしないだろう。

「キャリアと結婚する」とは言ってるものの、結婚したからといって、自分以外のなにか/だれかに人生を捧げるつもりはない。また、「仕事のやりがい」を口にする人がいるが、企業の本質は金儲けであることを否定できない以上、資本主義社会に懐疑的な私は、そこに心の底からやりがいを見出すことはできないと思う。

今の段階で20年も先のことを考えることはできないが、若いうちにそこそこキャリアを達成したあとは、また全然別の道を模索しているかもしれない。

 

その日がいつ来るかはわからない。

ただ、もう若くないさと言い訳している今、いちご白書をみることはしばらくないだろう。