船に乗りたかったし、馬で駆けたい人生だった。あと、カジノで勝った話。
ニューヨーク留学が終わり、ヨーロッパ放浪の手始めとして向かったはずのロシアにそのまま約2か月滞在して、昨日、日本の地元に帰ってきました。
(注:この記事はしばらく下書きに放置されていました)
ロシアのサンクトペテルブルクにいる間、ネヴァ川を見ながらよく、くるりを聴いていて。
高校生の頃、アルバムを貸してくれた友人にそれを伝えたら「くるりが染みる恋っていいね」と、いろいろと感慨深い言葉が。
神様ほんの少しだけ 絵に描いたような幸せを 分けてもらうその日まで どうか涙を溜めておいて
気づかないような隙間に咲いた花 来年も会いましょう
あぁ 夢ならば醒めないでよ はじけ飛んだ 綿毛のような心
次のバス停まで歩こうよ
ここはまだ旅の途中だよ
僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって
ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった
身ぐるみ全部剥がされちゃいな
やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる
卒業してもずっとやりとりしている高校の先生と、鄭和の話になったことがあったんですよ。世界史は特に好きな科目だったんですけど、中でも、船乗りだったり、騎馬部隊だったり、「周辺」民族の歴史に思いを馳せる時間が受験の息抜きでした。たぶん、それは私自身が外国人として生きているが故のシンパシーってこともわかってて。
私のことをパーリーガールって認識している友人に「生まれ変わるなら、船か馬に乗りたい」って言ったら「本当かよ」って思いっ切りつっこまれました。
別の文脈で、彼女にも同じことを言ったのですが、そのとき「安定したくないの?」と聞かれ「城作って閉じこもるなんて狂気の沙汰だよ」と答えたところ、「それは、生活があるからこそ言えることだよ」とずばっと。
本人に許可をとっていないので、詳細は省きますが、まあ、彼女にそれを言われると…ってぐさっときましたね。
ただ、飽き性なので、特に若いうちは3~5年で住む場所を変えたい気持ちはある。それか、世界に拠点を何個か作って、数か月ごと、その土地のベストシーズンだけ滞在しようかな…。
ちなみに、別の友人には「各大陸超えて、各国に彼女作りそう」って言われました。そ、そんなちゃらくねーし!!
みんな、私のくそれず話を飽きもせず聞いてくれる良き友人です…本人たちは数年ごしの彼氏がいるんだけど、あれ、これも、自分の確固とした基盤があるからこそ、違う人生を楽しめるってやつかな。なんにせよ、これからもよろしく。
以前、さらっと書いたのですが、ラスベガスのカジノで、300ドル勝ったのですよ。
「どうせなら派手に散って話のネタにでもしてやろう」と思い、一気にルーレットに100ドルを置いたんですね。いや、まず、換金するタイミングも、渡すタイミングも分からなかったので、ディーラーに助けてもらって。台の人たちにも「アジア人の子どもが遊びにきたよー」って一瞥をくれられました。
そしたら、当たり。200ドルになりました。
そこで、止めようと思ったのですが「いや、ここで終わっちゃつまらない」と、しかも、なにを思ったかその200ドルをもう一回差し出しました。
運が来ました。400ドルゲット。
いや、あのドキドキは何にも勝りませんね。しかし、女、酒、たばこ、ギャンブルって役満はさすがに出せません。後者二つに関しては、やめました。
お金の使い方の流れで、この話を彼女にしたとき
「お金を儲けようって思ったときじゃなくて、他のもの、例えば、好きな人と過ごす時間だとか、自分をケアするためとか、あとで話にできるような経験のために使ったお金は、なんだかんだ後から戻ってくると思ってるんだよね。それに、お金は使うものだよ。貯めるためのお金なんて、馬鹿らしくない?」
といったのですが、彼女には
「そうね。あと、願っていないものは簡単に手に入れられる。
本当に願っているものは得られない」
と言われ。
ネガティブ、ポジティブの言葉で済ませてもよいんですけど、この話からそういうことを言ってくるとは思ってなくて。(他の人に話すと、盛り上がって終わる)
先日、カズオ・イシグロの本を読んだ後に「運命が不可避ならば、なぜ、人はより良く生きようとするのだろうか」としばし考えたことがありました。
実は、私にとって、この問いは、ずっと繰り返されてきたものなんです。たぶん、哲学をかじり始めた高校生くらいから。
ただ、この問いは、「運命は不可避」って前提を共有しないと成立しなくて。そこをどれだけ、肌感覚で理解しあえるかって、そういうところなんだと思います。
取り急ぎ近況報告と最近の心境
ってどこの芸能人ブログって感じですけど。
そろそろ、書かないと、このまま一生お蔵入りしそうだったので。
本当は、いろんなことを書きたいのですが、内容が満載すぎてなかなか筆が進まず…。(だいたいのことはTwitterで呟いてます)
ってことで、今日はリハビリとして箇条書きでささっと。
ちなみに、ここ数か月更新してなかったのは、私より一足先に帰国した友人にパソコンを手荷物で持ち帰ってもらったからです。ヨーロッパ…てかロシア滞在中は学校用リュック一つで済ませてました。
1.無事、ニューヨーク留学を終え、東ヨーロッパ放浪の手始めとしてモスクワに行く
2.ティンダーの女の子を追いかけて、サンクトペテルブルグに行く
3.他の子を好きになる
4.その子に好かれる
5.3日の予定が、結局2か月くらいロシアでだらだらする。
いや、本当は、
一目ぼれした子のこととか(今好きな人とは別)、
ロシアのレズクラブの話とか、
凄まじい苦労話をもつレズ友達の話とか、
なんか知らんけど、ロシアのレズ界もくっそ狭かった話とか
ノンケ女友達同士が付き合って片方がメンヘラ化した話とか、
ホステルで出会ったイスラム教徒に絡まれて、最終的にキスされそうになった話とか
役者志望の女の子に会って、うひょうひょしてたら、帰国の便を逃した話とか(違う)
ウーバーのドライバーがグーグル翻訳を駆使して口説いてきた話とか(挙句の果てに連れ去られかけたこととか)
あ、クレカも盗まれました。
区画全体でお湯も出なかったし、
ホステルの住所間違ってて、1時間とかざらに迷ってたなあ。
その最中に出会った人々…とくそな私。(案内してくれた15.6歳の不良少年二人に、お礼としてタバコをあげちゃう悪い大人。だって、私がなんか言ったところで、ねえ。)
あとは、ホステル探してる最中に会った知らん人の家でそのまま夕飯、ワインをご馳走になったり(してたら、彼女との約束に遅れた←やっぱクソな私)
ポリアモリーカップルの友達がいたんですけど、お泊りに行ったら、彼女、てか奥さん側に抱きつかれたり
深夜3時に空港行きのバスが来なくて、どっかから現れた神の使いを名乗る青年に、他のバス停を案内してもらったこととか。。。
書きたいのですが、そこらへんは、小説化乞うご期待。
与太話としましては、先ほど、1年というか1年3か月前の失恋後、聴きながらぼっろぼろぼろ泣いていた曲を鼻歌で歌いながらお風呂に浸かれるようになっただけで、この1年は大きな意義があったのではないかと思いました。
ちなみに、スキマスイッチの「奏」です。他、思い出の失恋曲は、平井堅の「瞳をとじて」、山崎まさよし「one more time, one more chance」です。まんま、あるラジオ番組の「失恋ソング」テーマ回に、はまりました。
あと、ラインソングを一時期、Maroon5のSugarにしていたことも。
普遍には自分も含まれるんだなぁ。。。私も、しょせん、青二才。
失恋から完全に立ち直ったと言えるようになったあと、好きな人ができて、本当によかったな、と思っています。友人には「適当な新しい恋で傷を癒すのもありじゃない」という割に、自分のことになると、相手に失礼な気がするんですよ…妙なところで真面目。
ま、正確には、「もう恋なんてしない」なんて口走ってただけですが。笑
と、こんな感じで。
私のかつてのホームタウン名古屋は40度を超えましたが、皆さまご自愛ください。
もらった優しさよりほんの少し多めの優しさをもって生きたい
先日、22歳の誕生日を迎えました。今よりもっとこじらせていた時期を知っている友人にしみじみと「22歳だなんて信じられないね…」と言われましたが、本当にそれな。律儀に6回も祝ってくれてありがとね。私が時々忘れるのはごめんね。笑
低気圧の頭痛とたぶん生理前の微不調が重なり、完全に寝誕生日になったのですが、一緒に暮らしてる友人らに、翌日夜中3時にバースデーソングを歌ってもらえました。
みんなファイナルでくっそ忙しい時期に、せっかくだから、と出かけるつもりでいてくれたみたいなのですが、肝心の本人がずっと寝てるという。ごめん笑
気づいたら、ピザとケーキを買ってきてくれていて、ピザを食べてお腹いっぱいになったらまた眠くなる…って一日でした。ちなみに、そこから起きて、3時のろうそく吹きに至ります。さらにちなみに、4時からその日〆切のレポートを仕上げました。
4時からでも、動けて本当によかった。たくさん寝たのもあるけど、低気圧が去ったのが大きいかな。雨上がりのあの匂いと、夕暮れと夜が混ざる空を背景に浮かび上がるスカイラインを眺めた504号室。
5月はたくさん旅行に行くから、と一足早くマンハッタンの部屋を出て、最安のエアビーに入ったのですが、マットレスが薄すぎて身体中を痛め、さらに風邪も引きかけた私を見かねた友人らの「ここに泊まりなよ」という言葉に甘え、寮の部屋に転がり込んでいます。リビングのソファのほうが遥かに落ち着ける。
エアビーと同じ4人部屋でも、シカゴのホステルは綺麗で快適だったのにな。シカゴ旅行の話はまた別でまとめます。
そういえば、シカゴ行きのため、先述の友人に車で空港まで送ってもらったとき、「朝早いし申し訳ないよ」って伝えたら「なにいってるの、もう家族だから」って言ってもらえて本当に嬉しかったなあ。
今ではほぼ毎日、なにかしらの食べ物を買いにみんなで車で出かけたり、当日決めで野球を見にフィラデルフィアまで2.5時間かけて行ったり。深夜に謎のテンション高タイムが訪れて、ヘンテコダンス踊ったり。
タピオカジュースを買いに行く途中、煽ってきた後続車にGod damn itつって、さっと窓開けて中指立てた友達に、横の車のターバン巻いたおっちゃんが親指立ててにやって笑いかけてるの、まさに、私のなかのニューヨークだなって。ちなみにその友人、そのあとマックナゲットのソースを車内でこぼして落ち込んでました。笑
さらに遡れば、絶叫マシンに乗りまくった遊園地からの帰り、真夜中に、ちょうど彼女らが出発するとこに誘われて、なにがなんだか分からずにYESつったら、ブルックリンのパーティーだかただの集まりだかに連れてかれたのが、初めて車に乗せてもらった日か。あの運転と爆音と飛び交う言葉を聞いて、生が終わったと思った。笑
そういえば、みんなでバーやクラブ、パーティに行って、私が誰かとmake outしてる動画を撮られたりしたことも。なぜか知らないけど、そのあとその友達とちゅってしたり。
あとは、喧嘩の仲裁したり。It's not my faultってよく言う子たちだから、I don't blame you. Just feel you.って言ったら、じーんってしてたな。
いつかまた集まることはあっても、こんな時間は今だけ。時の不可逆性をここまで恨んだこともないです。
そして、自分が日本で失恋した時、泊めてくれた人たち、本当にダルい飲みに付き合ってくれた人たち、一緒に悲しんでくれた人たち。あのとき、かけがえのない関係を台無しにしてしまったけど、自分にとって大切なものはまだ残ってるんだなって思ったことを、今また思い出してて。
My body is fuckin mine. Your body is yours. That's it.って言っちゃう強さは、誰かを支えるものでありたい。私がこの地で学んだことです。